札幌の暗く長い夜は多分明けた
備忘録。忘れないうちにただひたすら書きなぐります。
わたしは高校三年生です。通ってる進学校のなかでは落ちこぼれの馬鹿ですが、これでも一応大学受験をするため日々勉強をしています。1分1秒惜しんで勉強を。そんな日々。
辛い中でも、NEWSの曲を聴き、ドラマはリアタイして、NEWSパワーは摂取してた。それが日々の楽しみで。
今週の楽しみはなんといってもMステだった。
BLUEの時、立てなかったステージ。
Mステに出ると聞いて泣きそうだった。
この金曜日を楽しみに、一週間頑張った。
見れないわけがないと思ってた。
自分が死んだりさえしなけりゃ、テレビさえ壊れなけりゃ、
みれるでしょ、普通。
まさか見れないとは思わなかった。
まず、9.4の夜、
本州を襲った台風が北海道に上陸した。
札幌の被害は本州ほどではなかったが、地区によっては木々が折れまくったりしてたらしい。
何より、就寝時の風がうるさくて、
熟睡できなかった。
だから9.5学校から帰ってすぐに昼寝をした。
2018.9.5の水曜。夜。
いつもより遅くまで勉強してて、深夜2時くらいにやっとベットに入った。
けど昼寝をしてしまったのであんまり寝れなくて。
3時になったら寝ようって思ってスマホをいじってた。
ちなみにいじいじして見てた画像はこれなんだけど(どうでもよい)
その時小刻みにベットが揺れ出して。
それがだんだんと、経験したことのない大きすぎる揺れに変わっていった。
携帯から地震警報の音。
この音が不吉過ぎて忘れられない。
私は咄嗟にベットから起き(ここで首を痛める)ベット下の机に潜った。(うちの部屋は、二段ベットの形で、一段目のとこに机やタンスが置いてある)
父は単身赴任中なので北海道不在、
兄はバイトから帰ってきておらず、
家には母と2人きりだった。
母のいる寝室には大きなタンスと鏡、大きな本棚があって、倒れたら危険なものだらけだった。
不吉な警報と、皿が大量に割れる音、物が絶え間なく落ちる音、沢山の17年間生きてきた中で聞いたことがない"音"を聴きながら、「死にたくない」って思ったな。
母の安否確認を済ませ、地震がおさまった後ライトを探した。前の日の台風でたまたまライトを使ってたから手元にあった。その時すでに部屋の電気はつかなかった。震える手を感じながら、次のもしもに備えて、非常用のバックを取り出したり、服を着替えたりした。
父や叔母達、友達と安否確認の連絡をするかもしれない!
そう思ってスマホを見たとき、絶望した。
電池が20パーセントを切っていた。
(深夜にスマホいじいじしてるから悪い。)
慌てて充電しようとしたけど遅かった、もう電気が通っていない。
お風呂にとりあえず水を貯めようとしたけど、もう遅かった、水も通っていない。
ときすでに遅し。
その後これより大きな地震は来なくて、バイトから帰ってきた兄(と彼女さん)とも無事合流した。2人は北海道大学の地学研究してる奴らなのでめちゃくちゃ頼りになったし安心感が違った。側にいてくれてありがとうって感じ。ここのプレートがどうこう、これ以上地震があると札幌はやばいとか、よくわからない専門的な話をして青ざめてた。ヤバイらしい。何がやばいんだかバカにはわからんがヤバイらしい。ヤバヤバのヤバ。?
避難所生活は免れたが、
家の非常食も多くはなく、
トイレは流れないし、スマホの電池は少ないし、充電器はないし、キッチンも洗面所もぐちゃぐちゃだし、非常用ラジオがなくてテレビもつかないので情報が得られないし、
とにかく何もできなくて怖かった。
夜の3時、4時。
真っ暗闇のなか、何もできずただ非常用グッズをまとめてた。
家のありとあらゆる電池を出してきて、
自分の部屋にあったラジカセでラジオを聴くことができた。
前日の台風により地盤が緩んで被害も大きかった。
『北海道に大きな地震は来ないだろう』
という根拠のない事を考えていた自分に腹が立っている。
いつでもどこでも起こりうる話じゃねえか。
今回の北海道の地震で一番大変だったのは、電気と水がまる二日間使えなかった事。
地震直後、電気の復旧目処が立っていないと北電は発表した。
地震の被害が少なかった地域でも全域にわたり、停電は起こった。
病院も。酪農地域も。
被害は大きかっただろう。
これがもし東京で起こったら。
北海道よりきちんとしてそうだけど、もし大型地震で電気が使えなくなったら。
被害は相当になるはずだ、こわい。
2日目朝のご飯はこんなの食べた。
意外とうまい!結構量ある!
2人で1つ食べても全然いけそう!
↑賞味期限2016年のだけど全然大丈夫、美味しかったよ。
お餅も食べたんだけど、それはやめたほうがいいな、全然お腹満たされなかったな…
電池が無くてあんま写真は撮ってないけど、それでも残せるだけ残したくて撮った写真
はいドーン
!!!!!!!!!!!!
6時台の食卓だよ。暗いね。
停電中の夜のリビング。
お部屋なので少し加工入れてます。
たまたまキャンプ用のランタンがあって、たまたま単一電池が残っていたので使えました。
その電気を利用して、
受験生、こんな時でもお勉強。
ちげーんだよ!!!!!うちの学校来週から期末試験あんだよ!!!勉強しなきゃやべーんだよ!!!北大生を目の前に、必死こいて勉強する我。泣けるほど愛しいな、うんうん。
あとこれ、見てもわからんと思うが、
窓から見えた近所のお家たち。
⬇︎ここには約3棟のマンションが写ってるはずだよん
まっくらーーーーー( ◠‿◠ )
全く見えねーーーワラ
でもこんなんだから。
お空がとっても綺麗でした。
札幌でこんな空みれることは二度とないよ
二度目があるのならそれは、大地震が来た時だ。もう来ないといいなぁ
でもそのお空の写真はありません。
スマホクオリティで取れるものじゃありません。
が、しっかり心のシャッター押して来ました。
2日目くらいからは近所のスーパーが開いて
食料調達も。いつ電気がつくかも水が復旧するかもわからなかったので、多めに用意しました。
トイレ用の水等は、マンションの下から汲むことが出来て、自宅の階まで運ぶのは大変だったけど…でもありがたかった。
清掃員の方がこんな非常時にもマンションでお手伝いしてくれてて。
お家のこと心配なはずなのに、こうやってお仕事してくれる人がいるんだなぁと実感した。
スーパーのレジの人も、そう、
みんな被災者なんだ。
そういう気配りができたら、いいのにな。
スーパーには怒鳴り散らすお客さんもいたそうです(兄情報)
救急車と消防車の音もずっと聞こえてた。
電気がついてから(よくわかんないけど)ブレーカー落としてないことが原因で家事になったりとかがあったのかな?
私の住む地区の停電断水が復旧したのは
2018.9.7午後9時ごろ。
はい、ちょうどMステが終わった頃ですね
( ◠‿◠ )
あんだけ一週間、
当たり前に見れると思ってたMステが
見られませんでした。
当たり前のように暮らしてた生活が
電気水無しの生活になりました。
当たり前なんて無いんだなぁ
夜は、いつあの警報がなるのだろうと、今でも少し怖いです。
それでも少しずつ、前を向いて生きたいと思っています。
何万回だって負けそうになるけど
また歩き出してみます。
たまに、不安な気持ちをTwitterで吐露してたのですが、優しいリプをたくさんいただき、感謝しています。
今まで、
そんな一言じゃ意味ないよなぁとか思ってたけれど、
言葉を貰う側になってみて思うのは、本当に有難いということ。
余震が怖くてこれからが不安で手も震えてたけれど、皆さんの言葉をみて、少し心が落ち着きました。
言葉は凶器にもなるが使い方次第でこんな魔法にもなるんですね。
それも改めて実感しました。
Mステダビングしましょうか?と言ってくださる方もいて、ほんとまじでこの人達は優しすぎるんじゃないかと、涙が止まりませんでした。
本当にありがとう。
私は幸せ者です。
この命、
大切に生きたいと思います。
私は生きる。
皆も、「生きろ」
Mステ、電気復旧後見ました
NEWSは今日もかっこよくて美しくて、
歌が、よかった。
"音"はすごい
警報と皿の割れる音だけで手を震えさせることができるし、
4人の歌で人間の心をこんなにもゾワゾワさせる(いい意味)
音はすごい
この4人は、すごい。
この人達のファンであることが誇らしい。
今日もアイドルをしてくれてありがとう。
生きててくれてありがとう。
4人のおかげで、私は今日も生きています。